楽しみにしていたコンサート

12月25日、旧大阪商船で行われた門司少年少女合唱団のコンサートに行ってきました。

このイベントは、観光パンフレットなどにも載っていなくて、探すのに時間がかかりました。

コンサートがこの日にこの場所であることは、指導者の方から聞いて知っていたのですか、インターネットで調べても、いろいろなパンフレットを見ても載っていません。

そうこうするうちに、11月が過ぎ、12月もなかばを過ぎてから「市政だより」で見つけました。


  門司少年少女合唱団クリスマスコンサート
 
 12月25日(土)18~19時30分、旧大阪商船で。
 問い合わせは門司区役所まちづくり推進課 TEL......

 ~ほっと情報!もじ~ 門司区版


やっとイベント開催を確認して、当日、外壁工事中の旧大阪商船に出かけました。

門司少年少女合唱団-001.jpg

会場に入ると、横長にステージが作ってありました。真っ赤なじゅうたんがひかれています。観客席は、ステージ中心に向けて弧を描く形でパイプ椅子がたくさん並べられていました。

受付テーブルでパンフレットを配布しているのは保護者の方かな?僕も1部いただきました。来場した子供たちには、お菓子のプレゼントもあったようです。

外の通りには、サンタの衣装を着た男性が呼び込みをされていました。人柄の良さそうな方でした。

次々と観客が入ってきます。家族連れ、年輩のご夫婦、女性のグループetc.
毎年行われているコンサートなので、楽しみにしている人も多いのでしょうね。僕も、今日はどんな歌声が聴かれるか、わくわくしながら待ちました。

昨年、門司港で、多くのイベントに行ってきましたが、その中でもひときわ印象に残ったのが門司少年少女合唱団の歌です。

栄町銀天街で、ハロウィンの催しのひとつとして合唱の発表がありました。ユーモアあふれる先生のお話、和気あいあいとした雰囲気、そして澄んだ歌声。とても心なごむひとときでした。

心待ちしていたこのコンサートのレポート。続きは、1月末ごろに掲載します。
写真を撮影させていただいたのですが、子供の写真なので、掲載にあたってモザイクをかけるかどうか迷っています。

銀天街のこと

前回の記事「銀天街のいわれ」について書いた後、さらに銀天街について調べてみた。

まず、各地の銀天街がどうなったのか。

山口県柳井市にあった銀天街は、アーケードが取り払われ、すっかり跡形もなくなったそうだ。
ここは、既に30年以上前から人通りが減っていて、ついに銀天=アーケードがなくなり、商店街自体もなくなったということ。つい最近、見てきた様子を聞くと、ここに銀天街があったことは昔のことを知る人でないと分からないのではないか、ということだった。

沖縄のコザ十字路銀天街については、少々寂れてアーケードも一部撤去されたものの、若い人の活躍でまだまだ健在のようだ。

伊万里の銀天街商店街は前回書いたように、アーケードを撤去して、銀天街になる前の白壁を復活!通りに面した店舗を白壁土蔵風に改修し、商店街の名称をこれまでの銀天街から「仲町通り商店街」に、通りを「仲町観音通り」に変更。

北九州市の魚町銀天街は、変わらず賑わっている。

同じく、松山市の松山銀天街は、松山在住者によると賑わっているらしい。ちなみに、「銀天街」で検索すると、トップに表示されたのが松山銀天街へようこそ  というページだった!

※続きは後日書きます

銀天街のいわれ

門司港レトロの近くに栄町銀天街(さかえまちぎんてんがい)という商店街がある。

古き良き時代の門司では一番の商店街で、アーケードが出来た当時は歩くのも大変なくらいの人出があったようだ。海峡ドラマシップの2階に、当時の写真が展示してあるが、こんな時代もあったのかと驚いた。

ところで、銀天街という名前について、意外なことが今日わかった。

小倉のBQ食KING~天下分け麺の戦い~天下一之焼麺決定戦に行ってきたのだが、その時いただいた「かえるプレス№33」(北九州市発環境情報誌)に、こんな記事が掲載されていた。

 

   銀天街発祥の地「魚町銀天街」

    一九五一年 十月、魚町に
    日本で初めて公道上にかかる
    全長百三十メートルの
    アーケードが完成。
    六、○○○通の公募作のなかから
    『銀の天井に輝く街』を
    意味する『銀天街』と
    命名されました。
    以降『銀天街』の名称が
    各地へ広まりました。

 

銀天街という名称は、「銀座」などといっしょで、東京から各地に広まった言葉だと思っていた。○○銀座と言った感じで、東京発の全国に広まった文化というか名称だと勘違いしていたのだが、そうではなく北九州の小倉が発祥だったとは!

それに、「銀幕」「摩天楼」などという言葉と同じように、銀天街って「古き良き時代」を感じさせる、いい言葉だなと感じた。

家のパソコンの前で、この記事を読んだ僕は、さっそく銀天街について検索してみた。

すると、またしても意外なことがわかった!

それは、「銀天街というのは、全国どこにでもあるのではなく、わりと限られたところにしか無い」ということだった。

どこに銀天街があるのか。北九州市以外では次の市にある(あった)ことがわかった。

  下関市(山口県) 宇部市(山口県)
  柳井市(山口県) 別府市(大分県)
  延岡市(宮崎県) 沖縄市(沖縄県)
  津山市(岡山県) 松山市(愛媛県)
  天草市(熊本県) 伊万里(佐賀県)

これらの市の銀天街は、当時はそれぞれに賑わったようだが、現在はシャッター通りになってしまったところもあるようだ。

中には、伊万里銀天街商店街のように、アーケードを撤去して、通りに面した店舗を白壁土蔵風に改修したところもある。
※銀天街を意味するアーケードがなくなったので、商店街の名称をこれまでの銀天街から「仲町通り商店街」に、通りを「仲町観音通り」に変更。

もちろん、魚町銀天街(北九州市)のように現在でもメインストリートというところもある。

ところで、これら銀天街のある市に共通したことは何だろう?

ざっと見てみると、これらはどれも西日本である。

また、津山市(岡山県)をのぞけば、他はすべて港がある。

たとえば、柳井市(山口県)の銀天街は柳井川に沿った商店街で、かつては船で荷物を運んでいたらしい。もちろん、柳井港という港もある。
門司港(当時は門司)の栄町銀天街にアーケードが出来たのは1957年で、魚町銀天街の6年後だが、もしかしたら門司港の文化が港を通じて各地に広がっていったのかもしれない。

下関市や宇部市は門司港のわりと近くだし、松山市にはつい最近まで門司港からのフェリーが出ていた。

こうしてみると、津山市(岡山県)に銀天街があるというのはなぜ?と思ってしまう。誰かご存じの方はいないでしょうか?

それと、東日本に銀天街がないというのもなんとなく想像できる。門司港や小倉からの船は、関東ではなく大阪やそれより西の県に向かうことが多いだろう。東日本へは、大阪から別の船なり列車なりで移動したのかと想像した。

現在は商店街は冬の時代であり、新たな銀天街が生まれるよりも、姿を消す銀天街が多いことだと思う。先に例にあげた柳井市(山口県)の銀天街でも、30年以上前から人通りが少なくなり、別の場所に店舗を移すところがあったそうだ。

そんなことに思いめぐらすと、今なお活気ある商店街として機能している魚町銀天街(北九州市)や松山銀天街(愛媛)、そして栄町銀天街(北九州市:門司港レトロの近く)に敬意を表さずにはいられない気持ちになった。

観光モデルコース(2010-2)

門司港レトロ地区を案内するのにどういったコースがいいか、実際にそういう機会があったので、観光モデルコースの一つとして掲載します。訪問時は2010年の2月です。


先だっての日曜に、門司港レトロを案内する機会があった。
門司港は何度か訪れたことがあるらしく、どこに連れて行こうか考えた。

まず、車で駅に行き、門司港駅の駐車場に車を停めた。夏だったら、このまま門司港駅前の噴水広場もいいかと思うのだけど、あいにく冬は噴水が止まっている。とりあえずは食事ということで、三井倶楽部へ行くことにした。

日曜日ということもあって人が多い。11時半頃に着いて、しばらく待って入店した。この日は団体客が入っていて、ほとんどの席が予約席になっていた。 

席に着くと、少し離れたところに立派な雛人形が飾ってあるのに気づいた。ちょうど門司港レトロ地区一帯で「ふぐとひな祭り」をやっているから、その一環だろう。

ところで、僕たちの後で、おばさま数人が席を見渡しながら入ってきてテーブルに着いた。けれども、予約してないと分かるとウエイトレスさんから「ここは予約席ですから」。

おばさまは、しぶしぶ席を立って辺りを見渡すと「あそこの席は?」と、のたまう。でも、ウエイトレスさんに「あちらもぜんぶ予約席です」と言われて退散。しばらくすると、外国人観光客の団体が入ってきて、ほぼ満席となった。

料理の方は、和食を注文し僕は洋食にした。相変わらず美味しい。
ここの料理は相変わらずプロの料理人らしい品々だと感じるね。

食事の後は、さげもん展を見学させてもらって外へ。旧門司三井倶楽部の中庭を通って「ふぐとひな祭り」のメイン会場になっている旧大阪商船へ向かう。

観光モデルコース1002-002.JPGここには、大きな「ふぐのみこし」のようなものがあって喜んでくれた。なんでも、「ふぐランタン」と言うらしい。さすがに旧大阪商船は「ふぐとひな祭り」のメイン会場らしく豊富な展示物だ。しばらく見学して、今度は門司港ホテルへ向かうことにした。

こちらにも立派なおひな様が幾つか飾ってある。実は前日の土曜日に、ひな飾りのことをあれこれ話していたから興味があるだろうと思ってルートに入れておいたのだ。

さて、門司港ホテルのひな飾りを見学した後は、ブルーウイングもじを渡ってみることにした。何やら対岸からエレキサウンドが聞こえてくる。

港ハウスの方に渡ると、建物の前で音楽イベントの真っ最中だった。後で聴きに行くことにして、旧門司税関に。ここも、ホールに飾ってある雛飾りがすばらしい。

外に出ると、エレキバンドの演奏はラスト1曲だった。その曲が終わると「次は○時からです。しばらく休憩させてください」とのアナウンス。

そうするうちに、ちょうど良いことに、さっき準備していた大道芸のお兄さんが演技開始。

以前、僕は一度見たことがあるのだけれど、なんだか張り切りようがちがうというか、声が明るい。「いやー、昨日はお客さんが十分の一くらいで泣きそうでしたけど、今日はお客さんがとてもいい反応をしてくださるので嬉しいです。ありがとうございます」。

う~ん、確かに人だかりが多い。昨日は曇りで今日は快晴だからかな?空には雲一つないとまではいかないが、上空のほとんどは青空。

このお兄さん、何でもヨーヨーの西日本大会で優勝したほどの腕前とか。場の盛り上げ方も慣れている感じ。でも、軽くこなすといった様子ではなく、一生懸命なところが伝わってくる。

おっと今度はエレキバンドの再開だ。こちらも観客が多く、僕は立ち見というか、立って聴いていた。演奏の腕前はなかなかのもの。「神田リバーロック」だったか「神田リバーレゲエ」だっか、ベンチャーズ風の小気味よいメロディが流れてきて途中で「あ、これって神田川?」と気づいた(笑)。

さて、そのあと僕は車をまわすために門司港駅の方に戻り、門司港レトロ駐車場に向かう。

駐車場の辺りで乗せ(この辺りはよく人を待つ車が停まっていたりする)、海峡ドラマシップへ。

短時間でまわるには、先に門司港レトロ展望室に行った方が良いのだが、海峡ドラマシップは基本的に5時までなのでそっちを優先した。

それに、門司港レトロ展望室からはサンセットの景色もいいから。

海峡ドラマシップでは、海峡レトロ通りやショップ巡りをしてすごす。おしあげ展をやっていて、係の女性がいろいろ親切に説明してくれた。

再び車で出発し、門司港レトロ駐車場に車を停め、レトロハイマートに向かう。エレベータに乗って展望室に上がっていく途中で、今日も「どうして?」のセリフを何回か聴くことができた。※詳しくはレトロ展望室の記事を参照

  ここは上の受付で入場料を払うというシステム。ちょうどバレンタインカップルチケットのイベント期間中なので、もちろんそれを購入する。支払いは、お得クウポンで。

AIR'S CAFEで特典のドリンクを頼む。コーヒーとか紅茶も選べるけど期間限定のホットチョコレートドリンクで。後で、このドリンクがとっても美味しかったと言っていた。

このまま帰ってもいいけど、軽めに何か食べようかと向かったのはJR門司港駅。うどんくらいがちょうどいいらしい。僕はふぐフライ定食に単品のふぐフライ。ちょっと多かったかな。相変わらず注文を受けてから揚げるのでカラリとしている。うどんも美味しかったようだ。

ということで、約半日の門司港レトロ巡りは終了。ホントは天秤座でパンを買って帰りたかったけど、まあいいか。久しぶりで楽しかった、と言ってくれたし。


本日の観光コース  1 三井倶楽部  2 旧大阪商船 3 門司港ホテル
 4 ブルーウイングもじ 5 旧門司税関 6 港ハウス前のイベント
 7 海峡ドラマシップ 8 門司港レトロ展望室 9 駅のうどん屋

 以上のコースで約7時間だった。

「さげもん展」で

旧門司三井倶楽部では、「門司港レトロひなまつり」の一環として「さげもんグループ展」が行われている。
僕は、「さげもん」を見るのは初めてだったので、写真を撮るのもほっといて見ていた。

すると、椅子に座ったおばさま方が、楽しそうに話をしている。
どうやら、主催者というか作品を作った方たちのグループのようだ。
「あんた、ここに座ればええ」
「いや、ええよ」
「ええいね。私らも、こうやって座っとけば、おひな様みたいじゃ」
と笑いつつ、僕の方を向いて、
「どう?」

「そうですねー」と笑っていると、
「答えに困るいねえ」と、大笑い。

「さげもんって、ここいらのものなんですか?」
「ここのさげもんは、柳川のとはぜんぜん違うからねー」
「あれっ、ネタばらしですか?」
「そりゃああっちの方がオリジナルじゃけえ、伝統はかなわん。だけど作品は負けとらんよ」
「そうですね(笑)、いったい何人くらいでされてるんですか?」
「5、60人くらいおるよ」
「すごいですね。去年もここでおひな様を見たんですが、これ、去年は展示してなかったですよね?」
「いや、やっとったよ。もう4年になる」
「ええと、確か去年は2月28日のじじやの日に来たんですが」
「だったら、もう終わっとったんかもしれん。今年も26日までここでやって、その後は学習センターですることになっとる」

その後、ゆっくり見学させてもらっていると、奥の方のおばさまが作品の説明もしてくれた。
昨年の大正琴コンサートでも感じたけど、おばさまパワーってすごいなぁ。

門司港レトロパネル展

海峡ドラマシップで、レトロ通り(2F)をまわったところで見かけたパネル展。

昭和22年から33年までの活気あふれる商店街。この時代を僕は知らないけど、どことなく懐かしい写真の数々だった。
そして、海峡ドラマシップの「海峡レトロ通り」で再現されているのは、この時代よりもさらに前の輝いていた街の様子かな?

関連記事  海峡ドラマシップ(関門海峡ミュージアム)

最後の日に食べたいもの

朝食を食べていると、こんな会話が聞こえてきました。

「......それでね、汗で流れちゃうから、私はつけまつげをしてるの......」

うん?舞台関係か何かの人?女の人は饒舌(じょうぜつ)に、男の人は、ぼそぼそっと話しています。

「......テレビでね上戸彩が、地球最後の日に食べたいものっていうので、その店の焼きカレーを選んだのね。それでね、おかしくって(笑)。焼きカレーなんていつも家で作ってるのに。それでね、その放送があったのが金曜日だったんだけど、土曜日はきっとすごい人だろうと思って行ってみたら、ホントにすっごい行列だったのよ......ねぇ、最後の日に食べたいものってなぁに?......わたしは、ハンバーグ(←元気良かった)、あなたは?」

「最後に食べたいもの?そうだね、シンプルに卵かけご飯かな」

「えー、何それ!シンプルすぎる(大笑)」

「え、だって最後に食べたいものだろ?」

「あ、わかった、それって朝ご飯でしょう!?」

うーん、最後に食べたいものって、飲んだり仲間との食事でよく出てきそうな話題ですね。お茶漬けとかもありそう。

「ねえ、あなたの家って羽田からどれくらい?」

「1時間くらいかなぁ」

「それじゃ、今日は気を付けて帰ってくださーい。ねえ、そこって、田舎?都会?」

とりとめのない会話は、いつまでも続いてました。

その後、僕は早めに出て車に帰ってホッと一息。前では子供たちが走り回って遊んでいました。

しばらくすると、二人が出てきて、石畳の道を南の方に歩いていきました。

2010年1月の検索結果から

1月の検索結果をザッと眺めてみるとイベント情報を求めて訪れる人が多いことに気づきます。

  その日、どんなイベントがあるのか。(○月○日で検索)

  イベント出演者ってどんな人なのか。(出演者の名前で検索)

  イベントの場所はどこなのか。(イベント場所の名前で検索)

そういった情報が知りたいから、このブログを訪れるのだろうなと思います。

イベントが行われることが多いのは、レトロ中央広場、海峡ドラマシップ、門司港駅などでしょうか。
どんなイベントがあるかは、当ブログでも「イベント案内」というカテゴリを作っていますので、そちらをご覧ください。

なお、当日行ってみたらイベントをやっていたということも去年けっこうありました。
当日の情報は、門司港駅の掲示板でチェックするのがいいと思います。

スポーツイベントの写真の掲載について

最近、どんなキーワードでこのブログに訪れているかを調べてみました。
すると、意外なことに門司港レトロマラソンという言葉で何度も検索されていました。

レトロマラソンは、11月ですから何ヶ月も前に終わっています。
それなのになぜ?
考えられるのは、自分が写った写真が掲載されていないかさがす人がいるからでしょうか?

実はレトロマラソンは、あまり多くの写真は撮っていません。
それでも、数十枚は撮影したのですが、顔の写ったものをモザイクもかけずに掲載していいだろうか?という思いがあります。
これが、ステージイベントだったら、写真に撮られることを出演者も分かっていると思うのですがスポーツイベントだとそういう前提は成り立たないような気がします。

ということで、当ブログでは、スポーツイベントは基本的にモザイク処理をするようにしています。
ただ、本人の了解があれば、モザイクなしで掲載してもいいかなと思っています。

門司港レトロってどこからどこまで?!

門司港レトロの範囲っていうか、どこからどこまでが門司港レトロなのかっていうのは、このブログの立ち上げの頃から気になっていた。

レトロな建物で、最初に思いつくのは門司港駅とか三井倶楽部とか。
(正式には旧三井倶楽部だけどね)

でも、何かで「←レトロ地区」みたいな看板があって、そっちはどうやら「第一船だまり」の辺りらしい。
その後、マリンゲート門司で見た表示がやっぱり「第一船だまり」の方を示している。
となると、「第一船だまり一帯」が門司港レトロ地区なのか?

いやいや、そうすると明らかにレトロな建物である門司港駅とか三井倶楽部が外れてしまう。
門司港レトロは「大正レトロ」をウリにしてるそうだけど、このどちらも大正時代に建築された本物レトロだ。いや......三井倶楽部は移築された時に相当リフォームされたそうだから、ほとんど新築って話もあるし......。