銀天街のいわれ
門司港レトロの近くに栄町銀天街(さかえまちぎんてんがい)という商店街がある。
古き良き時代の門司では一番の商店街で、アーケードが出来た当時は歩くのも大変なくらいの人出があったようだ。海峡ドラマシップの2階に、当時の写真が展示してあるが、こんな時代もあったのかと驚いた。
ところで、銀天街という名前について、意外なことが今日わかった。
小倉のBQ食KING~天下分け麺の戦い~天下一之焼麺決定戦に行ってきたのだが、その時いただいた「かえるプレス№33」(北九州市発環境情報誌)に、こんな記事が掲載されていた。
銀天街発祥の地「魚町銀天街」 一九五一年 十月、魚町に |
銀天街という名称は、「銀座」などといっしょで、東京から各地に広まった言葉だと思っていた。○○銀座と言った感じで、東京発の全国に広まった文化というか名称だと勘違いしていたのだが、そうではなく北九州の小倉が発祥だったとは!
それに、「銀幕」「摩天楼」などという言葉と同じように、銀天街って「古き良き時代」を感じさせる、いい言葉だなと感じた。
家のパソコンの前で、この記事を読んだ僕は、さっそく銀天街について検索してみた。
すると、またしても意外なことがわかった!
それは、「銀天街というのは、全国どこにでもあるのではなく、わりと限られたところにしか無い」ということだった。
どこに銀天街があるのか。北九州市以外では次の市にある(あった)ことがわかった。
下関市(山口県) 宇部市(山口県)
柳井市(山口県) 別府市(大分県)
延岡市(宮崎県) 沖縄市(沖縄県)
津山市(岡山県) 松山市(愛媛県)
天草市(熊本県) 伊万里(佐賀県)
これらの市の銀天街は、当時はそれぞれに賑わったようだが、現在はシャッター通りになってしまったところもあるようだ。
中には、伊万里銀天街商店街のように、アーケードを撤去して、通りに面した店舗を白壁土蔵風に改修したところもある。
※銀天街を意味するアーケードがなくなったので、商店街の名称をこれまでの銀天街から「仲町通り商店街」に、通りを「仲町観音通り」に変更。
もちろん、魚町銀天街(北九州市)のように現在でもメインストリートというところもある。
ところで、これら銀天街のある市に共通したことは何だろう?
ざっと見てみると、これらはどれも西日本である。
また、津山市(岡山県)をのぞけば、他はすべて港がある。
たとえば、柳井市(山口県)の銀天街は柳井川に沿った商店街で、かつては船で荷物を運んでいたらしい。もちろん、柳井港という港もある。
門司港(当時は門司)の栄町銀天街にアーケードが出来たのは1957年で、魚町銀天街の6年後だが、もしかしたら門司港の文化が港を通じて各地に広がっていったのかもしれない。
下関市や宇部市は門司港のわりと近くだし、松山市にはつい最近まで門司港からのフェリーが出ていた。
こうしてみると、津山市(岡山県)に銀天街があるというのはなぜ?と思ってしまう。誰かご存じの方はいないでしょうか?
それと、東日本に銀天街がないというのもなんとなく想像できる。門司港や小倉からの船は、関東ではなく大阪やそれより西の県に向かうことが多いだろう。東日本へは、大阪から別の船なり列車なりで移動したのかと想像した。
現在は商店街は冬の時代であり、新たな銀天街が生まれるよりも、姿を消す銀天街が多いことだと思う。先に例にあげた柳井市(山口県)の銀天街でも、30年以上前から人通りが少なくなり、別の場所に店舗を移すところがあったそうだ。
そんなことに思いめぐらすと、今なお活気ある商店街として機能している魚町銀天街(北九州市)や松山銀天街(愛媛)、そして栄町銀天街(北九州市:門司港レトロの近く)に敬意を表さずにはいられない気持ちになった。
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